リブラリウスと日々の記録(はてな版)

研究とかイベント運営とかの記録を淡々と。

小田光宏先生のこと。

私信です。

届くわけはないのですが、一生忘れないと思った恩をもし忘れてしまったときに、覚えていた証拠として残させてください。

小田光宏先生*1の訃報を受け取りました。

jslis.jp

私にとって、小田先生は直接、論文をご指導いただいた方ではないのですが、私の学部生時代から、そして今年に至るまで長い間、本当にお世話になった方です。

以下、個人的なエピソードなので、特に役立つ情報はありません。ご興味のある方は「続きを読む」をどうぞ。

1.はじめに

私の所属していた横浜市立大学は、当時は司書課程が1年生から受講できる大学でした。

いろいろな経緯から私は司書課程を履修することにしました。せっかくなので、図書館関係の授業で取れそうなものを1年前期からなんでも詰め込みました。「図書館経営論」という授業も取れそうなので履修登録をしてみました。

察しの良い方ならお気づきかと思いますが、この授業は決して入門の授業ではありません。確か、大学の履修要覧にも3年次からが好ましいという記載があったはずなのですが、大学の履修システム上、履修できてしまったので、そのまま出席することにしました。

図書館経営論」の教壇で話し始めたのは、非常勤講師の小田光宏先生でした。これが私と先生の最初の出会いでした。

先生は1年生が授業に参加していることに困惑されていたようで、「本当は3年生から履修する授業なのですが」と仰っていたことははっきりと記憶しています。それでも履修を断られることもなく、初回の授業に緊張感を持って臨んでいました。

初回の授業終了直前には宿題が出されました。「公共図書館の業務について分析し、1枚のプリントにまとめてきてください」というものでした。

1年生が最初に取り組むような課題でないことは明らかでした。この課題を出すと決めていた先生が困惑するのは当然でした。

それでも私は教科書の見出しを眺めながら必死にまとめました。一緒に取っていた友人のTくんもどうにかできたらしく、2人とも無事に課題は提出できました。

2人とも落第にはならない程度の及第点が取れたようで、その後も何とか付いていくことができ、単位を取ることができました。

その授業だけで小田先生との付き合いは終わらず、ご専門である情報サービス概説の授業でもお世話になりました。

大切なことをたくさん伝えてくださったはずのご専門の授業ですが、論じてくださったことで覚えていることが少ないのが残念でなりません。それでもたった一つ強く記憶に残っている話があります。

「私はたくさんのことをご存じですねと言われるのですが、たくさんのことを知っているわけではありません。わからないことを調べるための方法をたくさん知っているだけです。」

何だかとてもカッコよくて、今でも覚えています。

カッコよいといえば、小田先生の授業の配布資料には、右上にどの大学で使ったプリントかわかるように、横市199801といったシリアルナンバーを打たれていました。それも何だかカッコよかったのを覚えています。

授業が終わってからはご無沙汰していたのですが、大学院に進学することが決まってから、横浜市立大学のキャンパスでたまたまお目にかかることができました。

大学院に進学したことを伝えたところ、大変喜んでくださっていました。

2.「学校図書館メディアの構成」(樹村房)でのやりとり

その後、大学院での生活があっという間に過ぎ、今の本務先に勤めるようになってからしばらくして、「学校図書館メディアの構成」の教科書執筆のお話がありました。ちょうど青山学院大学で同授業を教えていたこともあって、NDCやBSH、日本目録規則の章を執筆しました。

編集として小田先生は携わってくださっていて、どんな感じでかかわってくださるのかなと思ったら、先生による怒涛の朱入れを体験することになりました。

朱入れに歯向かおうと考えたことがありますが、全く歯が立たず、むしろ自分の粗ばかりが目立つばかりで、ほぼ全面降伏だったように思います。

この後、お仕事で何度も文章をやり取りするようになるのですが、本当に小さな個所のミスであっても見逃さず、的確に指摘してくださっていて、大変心強かったことを覚えています。もちろん、間違えた原稿を最初から出さなければ良いのは言うまでもありませんが。

www.jusonbo.co.jp

3.日本図書館情報学会でのかかわり

学校図書館メディアの構成」の教科書が世に出てから1年もたたないうち、小田先生から打ち合わせしたいとの申し出がありました。

内容は、日本図書館情報学会会長として次期事務局長への就任のお願いでした。大変な業務であることは明らかでしたが、お世話になっている以上、断る選択肢はないと思って、その場で承りました。

2017年4月から2020年3月までの任期で、私は日本図書館情報学会の事務局長に、そして小田先生は2期目の会長になりました。ちょうど学会の転換期であったこともあって、業務量はかなりありましたが、貴重な経験をすることができました。

いつでもお目にかかった時は

「こんにちは。」

と優しくご挨拶いただくのですが、ひとたび会議が始まると、良いことはよい、ダメなことはダメとはっきりおっしゃってくださることで、要所要所をしっかり締めてくださっていました。

私自身のだらしなさから、ミスをしてしまうこともあり、冗談では済まない大規模なミスをすることもありました。小田先生をはじめ、常任理事・理事のメンバー、そして会員の皆様には大変なご迷惑をおかけしたことを改めてお詫び申し上げます。

一番大きな失敗をした時には、小田先生から話がしたいので来てほしいとの連絡がありました。感情的になって怒られると覚悟していたのですが、先生は感情的になることは一切なく、問題点の指摘と今後の改善策を淡々とご指摘くださっていました。自分自身に心の余裕がほとんどなかった時期だったので、ただただありがたかったです。

日本図書館情報学会の会長は規程により2期までのため、小田先生とのお仕事は3年で終わりました。

その後、学会以外ではお目にかかることが少なくなっていました。また、コロナ禍に入っていたこともあって直接お目にかかるというチャンスもなくなっていました。

ある時、風のうわさで、体調を崩されたことを知りました。ご本人に詳細を伺わないとと思いながらも、チャンスがないまま、日々に忙殺される状況が続いていました。

4.第20回レファレンス協同データベース事業フォーラム「生成AIはレファレンスサービスに何をもたらすか」での再会

2024年10月に国立国会図書館図書館協力課の方より、登壇依頼のご連絡をいただきました。内容は2025年2月に関西館で開かれる第20回レファレンス協同データベース事業フォーラムへの登壇(フリートークのコーディネーター)でした。

crd.ndl.go.jp

準備を進める中で、2月5日に事前のリハーサルとしてWeb会議が開かれました。レファレンス協同データベースフォーラムでは、小田先生はおなじみの方でしたので、お話ができるかなと期待していました。しかし、先生は病院からのご参加で、カメラもほんの少ししか写っておらず、やりとりも最小限だったので、新しい情報を得られないまま、2月20日を迎えました。

当日、会場でPC等の準備が一通り終わって、初対面の関係者の方にご挨拶しようと思って、会場内を歩いていると、細身の方がよろよろと、こちらに近づいてこられました。

小田先生でした。

かつての恰幅の良いイメージからはかなり離れていめ、大病を患ったことがはっきりとわかる状況でした。

どのようにお声がけすればよいか…と迷っていて言葉を切り出せないでいると、先生はポケットから名刺を取り出して、こんな言葉をかけてくれました。

「はじめまして。」

そこは「こんにちは。」じゃないんですか。

27年の付き合いなのに、「はじめまして」とはどういうことですか。

そんなツッコミを考えてしまうほどの意表をつくジョークでした。でもこのおかげで私の迷いは吹っ切れました。次から次に言葉があふれてきて、先生に伝えたいことをぶつけていました。

この世界に連れてきてくださったのは先生でしたねとか、こうやって仕事が一緒できるのがうれしいですとか、いつもなら恥ずかしくて言えないようなことが、この日は躊躇なく出てきました。

もう会えないかもしれない、そう思ったら今伝えなくてはと珍しく勇気が出ました。泣きそうになりそうで、ほとんど先生の顔を見て話せなかったので、どんな表情で聞いてくださっていたかは分かりません。そうであってもあのタイミングで伝えられて本当に良かったです。

本人には内緒にしていたのですが、NDLの皆さんと打ち合わせしてフォーラムの一番最後にお言葉を頂戴しようと企んでいました。

その予定に従って会の最後にマイクを回したところ、聞いてないよと軽く抗議された後、用意したかのような前向きなエールを頂戴することができました。

完全アドリブなのに流石だなと感じたのを覚えています。残念ながら、これが先生が関わった最後のレファレンス協同データベースフォーラムでした。

フォーラムが終わった後、5月の日本図書館情報学会春季研究集会の待合室で、お一人で座っているところをお見かけしました。ずいぶん難しそうな顔をされていて、話し込む雰囲気ではなかったので、軽く挨拶を交わしただけで、その場を離れました。

それがお目にかかった最後でした。

5. おわりに

12月2日の朝のことです。子どもが早朝に泣いたので、対応して寝不足だった私は、一時間ほど仮眠をとっていました。

いつの間にか夢を見ていました。思い出せないくらい脈絡のない場面が展開される中で、突然、恰幅の良い小田先生の姿が出てきました。先生は何も言わずただ笑っていたように思います。

その夜、訃報を受け取りました。そこには今朝亡くなったと書かれていました。

非科学的ですし、自分が記憶を都合よく書き換えているのだと思います。でも、もしかしたら、ひょっとしたら、小田先生はわざわざ関係のあった方に挨拶して回ったのではないかと、ほんの少しだけ考えています。

だって小田先生なら、やりかねないじゃないですか。挨拶して回った上で「〜さん、気がついてくれなかったんだよね」とか言いそうじゃないですか。

閑話休題

通夜でお見かけした写真はとても温和で、山頂に立つ姿はとても誇らしげでした。

この記事を書くために電子メールのアーカイブを見ていたら、あれもあった、これもあったと次々とエピソードが出てきたのですが、だいぶ長くなったのと、小田先生から「もういいんじゃないですか」と言われた気がしたので、この辺でやめておきます。

小田先生、これまでありがとうございました。返しきれないご恩は、何らかの形で次の方へ繋げていければと思います。そのためにも、もう少しこの世界で頑張ってみます。どうぞ見守っていてください。

合掌。

*1:researchmapにはハイキング部部長という普通なら書かれて居ないフレーズがあり、お人柄がうかがえます。