【簡易メモ】図書館総合展フォーラム「書店と図書館〜書店も図書館も元気です!〜」
皆さんお久しぶりです。おおっぴらに公表できない内容が多い仕事をしていると日記がなかなかつけられません(泣)が,皆さん如何お過ごしでしょうか。
さて,本日は図書館総合展3日目に突撃しています。
ALISの方とか,若い学生さん(自分がこのフレーズを使う日が来るとはっ…)とかとお会いできたり,各ブースの展示で自分の知識をアップデートしたりととても充実した1日だったのですが,唯一心残りとして,フォーラムでtsudaろうとしたら回線が先に落ちてしまいろくに実況できなかったことが,気にかかっていました。
というわけで,本来実況しようと思ってつけていた簡易メモを公開します。ただし例の如く,若干メモが抜け落ちていること,全ての文章はイマイが聞き取った範囲で構成していること,誤りが含まれている危険性があることについて,あらかじめご容赦頂いた上でご覧いただければ幸いです。
あと,ちょっと熱に浮かされているので,編集がろくに出来ていません*1ので,致命的な間違いがありましたら優しく指摘して頂けると嬉しいです。
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図書館総合展フォーラム「書店と図書館〜書店も図書館も元気です!〜」 11月26日(金)図書館総合展フォーラム第8会場 13:00〜14:30
会場はほぼ満席とのこと。講師の紹介。永江朗さん(早稲田大学),福島聡さん(ジュンク堂難波店長),伊藤健さん(丸善,松丸本舗)。
福島聡さん:
- 本日はCHIグループの会ではあるが,ジュンク堂を代表しているわけでは無くあくまで個人の意見。
- 書店も図書館も「元気です」ではなく,「元気ですか?」と言いたい。紙の本に対する攻撃に対して元気でいられるか。
- 自分のいる難波店は大阪のミナミの外れ。去年オープン。テレビ大阪の取材で何故大きな店を出したかと聞かれた(ワンフロア1100坪)
- 今,グーグルの問題だとか電子書籍とかの問題があるが,やるだけやってみて,ダメならダメだと答えた。
- 電子書籍は新しい市場を作りたがっているように見える。何で紙の本ではダメか?紙の本が良いところもあると議論されても良いのでは。
- 図書館に親密な気持ちは持っているが,根本の存在意義は違うかもしれない。NHKブックスの図書館の発見を読み直したら,行き着くところは市民の知る権利
- 本がよいというのは,ある意味習慣の問題でしかないかもしれない。いかに存在意義があるのかと言うことをはっきり言っていくべきだ。 #LF2010 #BSandLib
- 無料で誰にでも貸していくのが図書館。書店の場合は本を売ることが目的。
- 今に至るまで,本を販売することによって,作り手,著者のパイプを書店は担ってきた。デジタル化することでどう変わっていくか。
- 指標となる数字は本の売り上げ,図書館の場合は来館者数や貸出冊数。どちらも来てもらわなければいけない場所。
- ジュンク堂は作者の方を招いて,イベントをやった。4年5年たつと,著者の方からオファーが来るようになった。
- 喫茶でやっていたので,毎日やっていたときは普通に使っている人から苦情が来た。よって今は週2回に落ち着いている。
- イベントをやっていて印象的だったのは,大学の教授が「たまには本屋に来なければ行けないな」といったこと
丸善 伊藤健さん
(松丸本舗について,松岡正剛さんのインタビューとイメージ映像の上映)
- 様々な本は文脈を持っている。本棚は縦に切られているのではなく,横へ動きながら見えル用に配慮した。10年前から千夜千冊という試みをやってきた。
- 千夜千冊のキーブックから2万冊に膨らましたのが中心にセットされている。
- 新刊書ばかりでなく,古書,文庫本も一緒に並んでいる。たとえば,日本防衛の文脈では一緒の棚に漫画本と新刊書が並んでいたりする。
- 本の読み方は色々ある。読前・読中・読後,ファッションを身にまとうように生活と本はつながっている。
- 1冊の本が10冊の本につながっている。
- 本を中心にブックコミュニティ,ブックコモン,ブックサロンがもっとできればよい。松丸本舗がその試みになれば。
- 2009年10月23日丸の内本店の4階にオープン,65坪の坪数に6万冊。半年間準備を経て,松岡正剛さんがディレクションに大きく関与。
- リアル書店の魅力が,書籍がワンクリックできる時代にどう打ち出せるか。私たちは本との予期せぬ出会いだと考えた。本は読むだけでなく,買ったり探したり,自宅の棚に収めるといったいろんな行動がある。人が本に出会う接点を表現するための場所。
- 予期せぬ出会いのために,書籍をテーマ別に並べた。コミックも古書もみんな同じ棚。自分が定番書と思って読んだ本の隣にコミックや古書が並んでいて,新鮮な驚きが得られる。
- 朱塗りの棚板は,松丸本舗の周りを一周している。朱塗りの棚をだけを追っていくと書籍のテーマを追っていけるようになっている。
- 棚を一つ変えれば違う本に出会えるように
- 松丸本舗は検索ではなく,探索する書店である。目的の本を探すのではなく,出会いにいく。
- 松岡さんが立ち上げの時期には,毎週木曜日の夜に来て,棚にコメントを書き込んでいくようにした。来場者は棚の前で何を書かれているのか想像を膨らませることができる。
- 反響としては,ユニークな棚構えでありマスコミにも盛んに紹介される。松丸書店は写真撮影OKであり,Blogで紹介される。最初観光目的できて,棚でまとめ買いをする方がいる。
- 客単価が高い。実験の意義はあった。
- 半年から1年でテーマの変更を行っている。普通の店ではフェアにあたる。1万2千冊が一気に入れ替わる。著名人の本棚も2ヶ月3ヶ月で入れ替わる。
- 来場の方は2度3度定期的に足を運ぶと発見があると思う。
永江さんにマイクバトンタッチ。
ディスカッション
永江:それぞれお二人,お互いの書店についてどう考えているかを話してほしい。
伊藤:丸善は昔は大規模店であったが,中小規模店が多い。ジュンク堂は超大型店であり,日本一の蔵書数や棚を誇っている。売り方のモデルは自分たちと全然違う。ただし,紙の本の力を信じていると言うことについては共通していると思う。
福嶋:松岡正剛さんはジュンク堂で2度トークしてもらった。ビデオでご覧頂いたように,本人に魅力がある。企画は個人の資質というかキャラクターが色濃く出ていて面白い。ジュンク堂も半年に1回そういうコーナーを作っている。なかなか大変である。丸善のような試みは凄く面白いし,意義はあると思うが,裏方は大変だなあと思う。
永江:ジュンク堂でもやれば良いのではと思う(笑)。書店は客観的に見れば大変な時代である。一方で言えばネット書店の台頭がめざましい。数字が公開されていないので,私の推定であるが,今月の1日でアマゾンが上陸10年。短期間でここまでシェア拡大をしたのは驚きである。秘密書籍1500億円から2000億円,新刊全体が9000千億円の売り上げである。また,今朝の読売新聞にもあるが,図書館の貸出冊数が増える一方である。この30年間の日本人の本を巡る状況は大きく変化している。ブックオフなどの新古本屋の対等もめざましく,年300億円(推計)。定価ベースだと1000億円くらいになる。電子書籍は矢野経済研究所では,2014年には1500億円ぐらいになるだろうという推計をしている。リアル書店のシェアは年々縮小している。本を求める人が今リアル書店に何を求めているかお二人に伺いたい。
福嶋:質問とそれるが,個人的に思っているがアマゾンの伸長は,本に限らず通販のシェアが伸びてきた。消費者の感覚として店に行かなくても購入できるというのがある。アマゾンさんは同じものを売っているので忸怩たる思いである。もっともっと対抗できたし,すべきだったと思う。ジュンク堂は個人的にはかなりの坪数があるが,本の在庫はアマゾンに負けるはずがない。倒産した書店や絶版本もある。ホームページから覗けるようになっている。読みたい本がすぐ読みたいが,近くの本屋になかったというのを大規模書店がカバーしてきたが,地方の中ですぐに出てこないオーダーに対してどう対応していくか。今,10時半まで注文すれば難波店から大阪には当日出荷できるようにしている。日本の書店が指をくわえすぎた。まだまだやれることがある。電子媒体が未来永劫続くような強固な媒体ではない。まだまだ本のアドバンテージを極めていくべきだと思う。
永江:平たく言うと,今の読者消費者はリアル書店に何を求めているか。
福嶋:それぞれだと思うが,直裁にはコミュニケーションが取れることではないか。最近でも宇宙人関係を信じている方が一所懸命僕を説得しようとした(笑)。真偽に関しては何とも言えないが,カウンターレジでも店員と話をしたり,棚と会話する空間であることを望んでいるのだと思う。
伊藤:松丸本舗については,こういう本がないかという問い合わせはない。お客さんが棚にずっといたいというニーズが強い。実空間を伴うのがリアル書店の強みである。その中で寝たいというお客様もいた。開店してから閉店するまで棚にへばりついている方もいた。その辺がリアル書店の強みだと思う。それをつくっているものは雰囲気,松岡さんの存在,棚に入っている本,本が作っている文脈,単品の本に対する発見や考えさせるところが滞在時間が延びる要因だと思う。
永江:平均的に見ると,ジュンク堂が目指したベクトルと松丸本舗のベクトルは逆に見える。ジュンク堂はほとんどあらゆる本を置く,松丸本舗は限定した本しか置いていない。これは本屋のあり方としてどうなのか。相互補完的なのか,ジュンクの思想から言うと個人の思想で作る棚は邪道と言うことか?
福嶋:ジュンク堂もまた,あるアンチテーゼである。個人的には80年代のリブロブックセンターに刺激されている。リブロのように選ぶのではなく,逆に全部並べておきたいという意識があった。弁証法的にそれまでリブロさんが文脈を捉えて並べていた棚(仏教書の棚があったとしても宗派まで分けていた本屋はなかった),たくさんの本を並べてリブロのように分類したいと思っていた。どちらがスタンダードと言うことではないが,これまであったものと違うものを作りたいという気持ちがあった。丸善が我々を意識したのかわからないが,ここで新しいものが可能ではないかというのは終わったことではない。ヴィレッジバンガードのように,本屋は個性がある。どれかがスタンダードと言うことはなく,色々工夫がなされていくべきだと思う。その方が読者は面白い。書店と図書館の分担につながる。生物のグラデーションをひいて,多様性があるものが生き残ると思っている。
永江:丸善は日本の株式会社第一号の老舗中の老舗であるが,松丸書店はジュンク的なあらゆるものをそろえるというものへのアンチテーゼなのか。
伊藤:アンチテーゼではなく,限られた空間の中でできるテストケースだと考えている。1万5千冊のフェアを本がかぶらずに10回やれば,ジュンク堂の棚になる。棚のデジタルアーカイブ(実際に購入はできないが)ジュンクのやり方と競合するつもりで作っているわけではない。
永江:福嶋さんの話には紙にはまだできることがあると言っていたが,我々は本の概念が大きく変わっていく入り口にいるのだと思う。本の歴史は5000年,古代シュメールにさかのぼると思う。あるときは記憶媒体が粘土板であったり,竹簡木管だったりする。今たまたま紙である時代にいる。そこに電子情報が加わったとき,本の役割そのものも変わってくる。本の概念,読書の概念が変わる中で,書店がどういう役割を占めていくのか。この30年の中で図書館や,新古書店などが加わる中で,リアル書店の占める位置が変わってきた。本の概念が大きく何世紀かで変わっていく中で,今の出版文化がどういう役割を果たしていくか。
福嶋:私自身が紙の本でやれることがあると風呂敷を広げたが,何となく思っているのが,シュメールの石版のことを言えば,今の冊子体の本は500〜600年かもしれないし,何らかの営為の記録とすればいろいろなものが出てきて,本はそれの一つに過ぎない。本として生き残っていくのか,デジタルの文字情報で残っていくのか何とも言えない。映画,TVが出てきても文字媒体での創作,記録は無くならなかったわけだから,まだまだ勇気が持てるかなと思う。いろんな言説空間が広がっていく中で本の価値が出てくるのではないか。聖書にしても仏典にしても,収拾がつかなかったときに編纂されたときく。何か一つのまとまったものになるということは,言説があふれればあふれるほど,意味が出てくる。家の書棚を含めて,本が並んでいる風景は本のコンテンツ以上に意味を持つことはあるのだと思う。記録媒体のあり方,創作媒体のあり方として,本は強靱なものだと思っている。
伊藤:電子でみれた方が便利なもの,紙で読まれるべきものがあると思っている。会計士の方が使う監査六法は3kgの重さがある。クライアント先におけるものではないので,会計士自身が持参するが,電子になっていた方が持ち運びやすい。使い方によって紙になるか,電子になるかが分かれると思う。
永江:書店と図書館は本を扱いながらも,図書館は無料原則,本屋は販売という形でそこが違う。
今書店界の一部で恐れられているのは,長尾の電子図書館構想で購買という行為が成り立つのか。そういった議論にはどう考えているか。
福嶋:元々本は貴重なものであった。わりと最近まで本を持っている人は財産を持っているひとであった。本は今ほどまでに新刊は出ず,売れてこなかった。右肩上がりであるべきだと考えるだけではないと思う。松岡さんがいかにして本に書きこみをするかという点は参考になる。読んで使い込んでいくのが自分のものにするプロセスとして必要。帰属主義ではないが,本という媒体で極めたいとする読者が残って,そういう本が残っていくのではないか。今の世界のありようが変わっていけば,本が流されていくとは思う。
伊藤:自分でお金を出して買うことは所有したいということなのか,自分の好きなときに自由にできる。紙媒体を買う需要はあると思う。自分の自宅の書斎を電子書籍化する「自炊」がみられるが,紙であった段階でその人にとって必要だったのかと言うことが疑問に思っている。紙が画像になるだけであるなら,本の存在価値とは何だったかと考えてしまう。
永江:自分そのものはつきあいたい本は側にいてほしいので買う。図書館と書店の違いは変えない,変えるの他に,書店は捨てることが大きいウェイトを占めている。デジタルアーカイブは全てを残すが,書店は売れていないものを忘れ去るようにする。一種のプレゼンテーション機能だったりするとおもうが,実際はどうだろう。
福嶋:ジュンク堂の書店は捨てるのが下手,あるいは捨てないでやれるようにしている。あらっぽく言えば,選書が必要ないので,小さな書店より簡単なのかもしれない。ただし,お客様のニーズには合っているので大失敗ではなかったと思う。書店の風景がある時代時代を切り取っていると言うことはあると思う。たとえば,売れる本を積み上げるから,ある時代を切り取る鏡になっている。新興宗教の盛衰は本の置き方をみればわかるなど,時代を反映している状況である。多くの場合は売れている本を前に出している。風景そのものがある縮図になっている。
伊藤:私の日本橋店は売り場面積では600坪もない。中規模な店である。1Fの一番手前には,売れ筋の本ではなく,これから売りたい本と考えた本を並べている。アマゾンとネット書店はランキングや機械的なレコメンデーションを行っていると思うが,内からそのニーズにはたらきかけるということは可能だと思う。数多くの本の中から,今はこれなんだと割り切ることが必要だと思う。
双方の図書館観
今朝の読売新聞にあった記事では図書館の貸出冊数が多くなっていることを図書館栄えて出版社滅びるというニュアンスであったが,かつては図書館と書店が対立状態にあることもあったが,現実に図書館と書店は利害が対立するものであるのか,競争もしていく,積極的に協力していく場か。
福嶋:私自身が図書館のヘビーユーザーであり,バッティングするとは思わない。本の面白さがわからないと本に近寄ってこれない。図書館の予約待ちを待っていると買った方が早く手に入る。本当のベストセラーは買って,図書館にあげるようなことをしてしまえば良いのではないか。ノーベル平和賞受賞者の本は2月の段階で紹介していたが,実際にフェアをしようとしたら新刊書で手に入るのはほとんど無かった。図書館であればとその時考えた。上手くコラボができたらなと思っている。
伊藤:日本橋店の方に,図書館に寄贈をしたいので丸善で選書をしてほしい,入れるのだから良い本を入れてほしい,テーマで入れればどうかという提案があった。洋書の原著と翻訳を並べて納入すると言うことをやった。そういうコラボレーションは可能だし,もっとできると思う。根っこの部分ではつながっていると思う。
質疑応答
総合研究大学院大学の矢代さん:今回の話の中でアマゾンの比較があった。Googleショッピングがブック販売を始めたが,書店の方から見てGoogleの驚異を考えていることはあるか。
福嶋:Googleは僕らも使っているので恩恵を受けているが,去年Googleが全ての本をスキャンして,アレクサンドリア図書館のような構想を立ち上げたのは刺激を受けた。おそらく商行為なので,日本では再販制があるので,送料や早さの勝負になってくる。Googleが日本でどれだけのことができるかと思っている。プラットフォームという考え方,アマゾンというブランディング。
アマゾンに関してはマーケットプレイスの部分は,古書が買えるのが便利だと思う一方,せどり屋のプラットフォームになりつつある。その点は本屋として熟字たる思いである。アマゾンは得しているなと思っている。
伊藤:Googleに関して言えば,検索してショッピングができるというのは驚異である。自分に必要な書籍かどうかはその場で判断できない。アマゾンのカスタマーレビューを見に行ったりと言うことをするのではないか。今は過渡期なので想像はつかないが,利便性と言うことで言えば怖い話かなと思う。
永江:最後図書館の皆さんに言っておきたいこと。
福嶋:書店も図書館ももっともっと元気になりましょう。
伊藤:紙,本に囲まれた空間で仕事をしている店では同士だと思っています。これからも一緒に頑張っていきましょう。
永江:書店が図書館に敵対的でないということは明らかになったと思う。
*1:単につかれてやる気がないだけとも言う。