リブラリウスと日々の記録(はてな版)

研究とかイベント運営とかの記録を淡々と。

所属変更のご挨拶。

唐突ですが,3月末で現職(東京大学大学院教育学研究科特任研究員)を離れることになりました。


東京大学大学院に修士課程からお世話になり,博士課程を満期退学後,特任研究員を担当させてもらっていました。ついこないだ計算したところ,通算すると10年在籍していました。大学院に入らせてもらったときには,世間知らずで研究の基礎体力もなく*1修士が終わったら辞めてしまおうと何度も何度も考えていました。それでも,現在のように研究を続けていられるのは,指導教員を始めとして,私に関わった全ての方が,何らかの形で私を引き留めてくださったからに違いありません。深く深く感謝です。


そもそも,大学院に入ってから…という昔話をすると,相当退屈&人によっては6回目くらいの話題になりそうなので,2011年の大学院オープンラボで話したときのスライドを貼り付けておきます*2。一応,申し上げておくと学部入学からの話がつらつら書かれておりますのでその辺を想定しつつ,生暖かい目で見て頂ければ幸いです。なお,徹夜明けの頭で作ったスライドにもかかわらず,おおむね事実とは異なっていません*3が,念のため,4つ補足します。


1)修士課程の話を扱ったスライドでは「生き残りたい。まだ生きてたい。」とか,既に賞味期限が切れていてイタイ&傲慢なコメントを書いていますが,実際の所は3日に1度は「もう辞める」と思うくらい落ち込みやすく,周りの指導教員や院生,家族の支えがなかったら,たぶん研究を続けるどころか,きちんと生活できているかどうかも怪しかったと確信しています…。


2)修士が終わるくらいまで,大学院はあくまでも大学の延長線で,研究はそっちのけで,ある他のことをひたすらやってみたいと思っていました。博士課程の新学期が始まる3日前,ある人に「お前みたいな何も準備できなかった奴に何ができるか」と指摘されるまで,「俺がやりたいのはこんなんじゃない」とか考えてました。明らかな黒歴史ですね,はい。今から考えると,このときまで何にもその勉強をしていなかったし,自分の好きなものしか見えていなかったのですから,やめておいて正解だったと思います。博士課程で少し知恵が付いて,色々なことを理解出来るようになった時に,知らないって怖いなとつくづく思いました。でも,あのときは見えているものしか,見えていなかったんでしょうね。今でもそうですけど。


3)博士課程で順調に研究できているように見えますが,自分じゃかなりの怠け者で1人では研究なんかできませんでした。色んな人に引っ張り上げてもらった結果だと思っています。D3になってようやく書けた1本目の論文の謝辞はよくある社交辞令ではなく,心からの謝辞です。


4)スライドでも書いていますが,非常勤講師を始めたことは大きな転機でした。それまでゼミとかでは知らなくても,黙っていれば先生がカバーしてくれたりしたわけですが,いざ教壇に立つと,当然先生は助けてくれないですし,よっぽど運が良くなければ,学生さんから「間違っている」と突っ込まれることも期待できないわけです。でも,目の前の学生さんに嘘を教えるわけにも行かない。そこで観念して色々なことを勉強し出したら,今まで知識がなさ過ぎて,理解出来なかったことが少しずつわかるようになって,ようやく走り始めることができた感じです。


本当はこのエントリで博士論文が書けました−,と報告したかったのですが,それはまだちょっと先の様子です*4。なので,このエントリもさっさと終わらせておきます。


なお,LIPER3プロジェクト図書館情報学検定試験は事務担当者を交代してまだまだ続きますので,今後もご期待ください!


最後になりましたが,4月からは都内の某大学で専任講師を務めることになりました。詳細は新年度にでもResearchmapをご覧頂ければ幸いです。グダグダ書くと,フラグだ何だと言われそうで怖いのですが,とにかく,お世話になった,関わりのあった全ての方に感謝です。有り難うございました。そして今後ともよろしくお願い致します。これからもきちんと研究業績を残せるよう精進して参ります*5ので,引き続きよろしくお願いいたします。

*1:今もあるかは甚だ疑問ですが

*2:元ネタが分かった方は,はてブコメントとかでコメント頂ければ幸いです,ちなみにオープンラボでは壮絶に滑ったので,元ネタ探しをしてくれる方はゼロでした…

*3:むしろ徹夜明けの方が切れ味が良いという説…。

*4:スライドでは2012年3月完成予定とか書いてましたね…。あぁぁ。

*5:「専任講師になってあの人,研究辞めちゃったね」とは絶対に言われたくないので,意地でもちゃんと研究していきたいと思います。