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リブラリウスと日々の記録(はてな版)

研究とかイベント運営とかの記録を淡々と。

吉岡利之さんのこと。

私信です。明るい話ではありません。でも,どうしても書かずにはいられなかったので,どうぞご容赦下さい。

吉岡利之さん。図書館総合展運営事務局,丸善ライブラリーニュース編集室と2つの立場からお世話になっていた方です。本日お昼前,2014年12月23日に急逝されたとの連絡を頂きました。ただただ驚いています。お世話になりっぱなしで,何一つお返しできていないのに。

少し思い出話をさせて下さい。そうせずにはいられない自分がいるので。

 たぶんあれは図書館総合展で検定試験のフォーラムが行われた年のことだったはずですから,2009年夏のことだったと思います。私の指導教員である根本彰先生が,研究室に私を呼んでくださって,丸善の方が来ているから,とご紹介頂いたのが最初でした*1

当初からエネルギッシュで,まだ博士課程の大学院生だった私に,発行された丸善Library NEWSを渡して下さって,是非原稿を書いてくださいよと,売り込んで下さっていたのが今でも記憶に残っています。たぶんその後も機会があるごとに,ご挨拶を続けていて*2,機会があったら丸善Library NEWSに寄稿をお願いしますと仰って頂いていました。

そこから時間は少し経過し,2011年2月の出来事です。東大の研究室事務室のTさんから,今井さんにお電話ですとの連絡がありました。吉岡さんは,必ず最初はメールではなく電話でした。当時は既に特任研究員になっていましたが,それでも駆け出しの人間でした。声をかけて下さったことが嬉しくて,その場で丸善Library NEWSの執筆を承りました。

丸善ライブラリーニュース|丸善株式会社

3月1日に入稿し,東日本大震災のために7月まで発行はずれ込むのですが,無事世の中に原稿を出すことができました。そうそう,これをきっかけとして学校図書館シリーズを作るんだと電話では仰っていましたね。思い出せば,ネガティブと言う印象は最後まで吉岡さんからは感じることができませんでした。

2011年7月25日のことです。メールで次号企画の相談をしたい,対談記事を作りたいとのご相談でした。2011年8月15日に明星中学高等学校の鬼丸先生,専修大学の野口先生の3人で鼎談(もちろん吉岡さんが加わって4名でしたので,座談会というのが正しいかもしれませんが)をさせて頂きました。座談会後,近くのイタリアンで図書館総合展の第2回L-1GPの話をしたり,非常勤ならではの悩みを4人で語り合った後,帰りの方面が一緒だったこともあって,吉岡さんと2人で同じ電車に乗って帰ることになりました。

吉岡さんと何を話したのか,詳細はメモしていないので記憶に頼るしかありませんが,図書館業界の将来の話,学校図書館の今後とかを話していたはずです。お酒が入った後だったこともあるのでしょうが,未来のことを純粋かつ真剣に熱っぽく語っていたことが記憶に残っています。今思い出しましたが,「良かったら,吉岡さん,大学院に社会人入学して下さいよ」とまで無茶振りしていたはずです。

お金儲けにも何もならないはずなのに,こんなに将来の話を純粋にできたのは,あの時既に丸善を離れる決断をされていたからなのか,それとも吉岡さんのキャラクターによるものだったかは,今では確認できないのが残念です。

http://www.maruzen.co.jp/lib/lib_news/pdf/library_news166_12_13.pdf

出来上がった記事は上記のURLで確認できます。それから図書館総合展L-1GPがあって,しばらく吉岡さんとは直接のお仕事関係はなくなります。でもその時期も,ことあるごとに挨拶を欠かさない方でした。

約3年間,時計の針は進み,2014年7月29日(火)の午前中のことでした。吉岡さんから,今度は白百合女子大学の研究室に電話がかかってきました。下記のブログの冒頭で登場する「とんでもないところからオファー」というのは誰でもない,吉岡さんのことです。


第16回 #図書館総合展 のフォーラム企画・進行を担当します。 - リブラリウスと日々の記録(はてな版)

そこから,約3年ぶりに一緒のお仕事をすることができました。時に,吉岡さんからの連絡が遅くなったりして、カチンときた瞬間があったりもしましたが,今はそんなことはどうでも良いです。そんなことは実際どうでも良いくらいの長いおつきあいでしたし,結局,どうにかなったのですし。

11月8日(土)のフォーラム終了後,近くの居酒屋さんで運営委員会のお疲れ様会を開催しました。吉岡さんは離れたところに座っていて,途中からお疲れだったのか,ウトウトされていてお話しするチャンスはありませんでした。

でも,最後の最後,桜木町駅で全員解散するときに,二言三言,お互いに感謝を伝え合いました。私が「名刺が全部切れちゃって,今日臨時の名刺を急遽作ったんですよ」*3と申しあげたら,是非名刺交換させてくれとのこと。その場で図書館総合展期間では一番最後の名刺交換をしました。何度も会っていて,何度も話しているのに,改めて。そして,二人で握手して,お疲れ様でしたと声を掛け合って,改札で別れました。

それが吉岡さんと過ごすことのできた最後の時間でした。

ここでいくら表現しても,吉岡さんには伝わらないのだとは思います。でも,涙を流したり,悔しがったりする前に,まず私がやらなければいけないことは,この記事を書くことであり,感謝を伝えることだと考えました。

吉岡さん,あなたから受けた恩,お返しできていないことが悔しくてなりません。私は,あなたが案内して下さった道を突き進み,いつの日か,凄いなと仰って頂けるよう,この世界で頑張っていきたいと思います。

どうぞ安らかにお休み下さい。ありがとう,そしてさようなら。

*1:タイミング的には根本先生に,2010年2月の原稿依頼をされていた時だったのでしょうね。

*2:これが今から考えると凄いことだと思い至りました。

*3:横浜駅の名刺作成機で当日の朝に緊急作成しました。