リブラリウスと日々の記録(はてな版)

研究とかイベント運営とかの記録を淡々と。

2013年の振り返り。

気がつけば,2013年もあっという間に残り1週間を切りました。毎年毎年,昨年の自分を良い意味で裏切るような1年にしたいと思っています。今年は自分については,予想もつかないような事ばかりが続いていて,まだ走り続けている感じが取れていません(これから年末〜年明けにかけてリセットがかかるのでしょうが)。

本当は3月末ぐらいに今年度の振り返りをしたいところですが,おそらくその頃はその頃で忙しくなっているはずなので,隙間時間が取れる今のうちに,できる限りの振り返りをしておきたいと思います。


【研究面】
まず,TwitterFacebookでさんざん宣言しているので,もうご存じの方も多いかと思いますが,今年は博士号を頂くことが叶いました。謝辞でも記載致しましたが,研究室の担当教員根本彰先生,影浦峡先生をはじめとした研究室のメンバーの方,研究上の助言を頂いた全ての方,FacebookTwitterなどで励まして下さった全ての方の支えがあって始めて出来上がった論文だと思っています。今書かないといつ振り返ることができるか分からないので,冗長になることは覚悟の上で,Twitterの呟きを交えながら,少し振り返ってみたいと思います。


第1稿を提出したのは,2012年の12月5日のことでした。

担当教員のチェックは1ヶ月はかかるだろうと考えていたのですが,わずか2週間のうちに前半部をチェックしていただき,2012年12月25日の時点で全部の部分に詳細な赤入れが行われた原稿を返却してもらう事ができました。大きな部分も小さな部分も非常に丁寧な赤入れをしてくださったことに,半分嬉しく,半分圧倒されたのを覚えています。それから3ヶ月,本務の特任研究員の業務を進めつつ,修正を進め,第2稿が提出できたのが2013年の3月25日のことでした。

その僅か2日後に,仮製本での提出を認めていただきました。わかりにくいかもしれませんが,下のツイートはそのときのことを示したツイートです。心の動揺を抑えるためにわざと暈かした表現で書いてますが,当時の心の余裕はほとんど無かったと思います。予想してちゃんと準備しておけといつも思うんですが…。

各書類を整え,新宿駅南口のキンコーズに搬入したのが4月9日,4日後の4月12日には仮製本を東京大学の事務へと提出しています。

その後,審査委員会での指摘などを頂き,第3稿を7月から8月下旬に作成(今年のお盆休みは全てこれにつぎ込んだと言っても過言ではありません)し,今度は淡路町キンコーズに搬入し,8月30日に提出しました。

次のアクションが9月下旬にありました。動揺してハッシュタグをつけるのも忘れています。なお,ここで残りの分岐があと2つというのは,最終審査会OK/NGの2つと言うことです。

最終審査会は10月16日。そう,関東に台風が直撃したあの日でした。私は後楽園に宿を取って大事を取りました。聞いた話だと審査員の方の中にも近くに宿泊して対応された方がいた模様です。御礼の言葉を言う機会が今後あるか分かりませんが,審査員の皆さまにも深く深く感謝です*1

最終審査会が終わって飛び上がるほど嬉しくなったり,そうでなくてもホッとしてその場にぐったりするくらいのことは自分だったらするのかなと考えていました。今から考えるとずいぶん浅はかで余計なことを考えていたのだなと恥ずかしくなります。終わった直後の自分は浮かれるどころか,むしろ自分への苛立ちや失望,怒りという感情がよぎりながら,ただただ呆然として立ち尽くしていました。Facebookに当日書いたポストの一部を下記に転載します。

しかし、終わってからの私の感触は喜びではなく、むしろ自分への怒りでした。質疑の中で核心をついた質問が出されたのですが、答えられるどころか、それが問題であることさえ認識していなかったことが露呈したのです。つまり事前にいくら時間をかけようが対策することができなかった問題が残っていたのです。

研究者として時間をかけられなかったことよりも、そこに無関心でいられた自分が恐ろしく、そして気づくことさえできなかった無力さに打ちのめされている段階です。悔しいというより、ただただ呆然となっています。

今後、これを乗り越えられなければ頭打ちになることは確実です。このタイミングでこの指摘をいただけたのは、私を絶望させるためではなく、走り出すためのエールを送るためであったと考えています。よって、浮かれることなく、ゴールというよりスタートラインだとして、今後も奢ることなく、精進してまいりたいと思います。

博士論文はゴールではなく,あくまでもスタートライン。それは何度も聞いてきた教訓でした。最終審査会のこの日,この教訓は単なる戒めではなく,現実の問題として眼前に現れました。今日に至っても一部をまだ引きずっています。浮かれて勘違いするくらいなら,これで良かったのだと思い始めてはいますが,突きつけられた問題の対応が今でもできているかが不安です。たぶん,できていないのでしょう。まだ来年まで引き継がなければいけない問題のようです。その後,本製本の手配を行い,最終的な提出が終わったのが11月15日。これで全ての動きが一段落しました。


本当はこの続きとして,博士論文以外に行った研究を列挙していきたいところなのですが,残念ながら共著の学会発表はできたものの,論文を執筆するところまで至りませんでした*2。時間がないというのは理由にはなりません。来年は意地でも単独の学会発表および査読論文の投稿をしたいと決意を固めました。


【教育面】
本年4月1日より白百合女子大学文学部共通科目で司書・司書教諭課程を担当させていただいております。教育についてはあれこれ書けるトピックもありますが,あくまで個人の思いつきや試行錯誤でしかないので,ノウハウとしてかけるようになってからこの場には載せておきたいと思います。ただ,受講生の学生さんからは,色々至らない点の指摘や疑問の提示を頂き,自分自身にとっていろいろなことを再確認できる1年だったと思います。でも,本当はもっとうまくスマートに教えることができた回は何回もあったと思います。まだ後期の授業は1ヶ月ほど残っていますが,授業でわかりにくいと感じた点があれば,それは学生さんの責任ではなく,全て私の責任だと考えています。


本年は,今までそれほど取り組んでこなかった資料組織化について,授業準備や予習を通じて多く触れることができました。わかったことのどれだけがきちんと伝えられたかは不安ですが,研究のこれからを模索しているときに組織化の話に触れられたのは,幸運だったと思います。教育方法について来年はもっと改善して参りたいと思います。でも,大学の教育は教員の豊富な研究が前提となっていると考えているので,研究をきちんとやって教育に反映させていきたいと強く思います。


【その他趣味など】
こちらについては,別途趣味のブログを作っているので,こちらで改めて振り返りたいと思います。一言だけ言えば,忙しいのに年間10本お芝居を見に行けたことはとても幸運だったといえるかと思います。自分の中で趣味がちゃんとできているときは,効率よく仕事や研究もできているときなので,来年もバランス良く息抜きの次官は確保していきたいと思います。


以上で,本年の振り返りを終わります。来年は今年できなかったこと,足りなかったことをきちんと取り組んだ上で,今の私が想像もできないような「良い意味で裏切るような1年」となるよう,精進を重ねて参りたいと思います。


長文のポスト,ご覧頂き誠に有り難うございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

*1:iPhoneのデータを眺め直していたら,前日にやることがなくなって自分撮りしたコメント映像が出てきたのですが,明らかに追い込まれているだけでなく,明らかに不細工で格好悪い映像だったので永久に封印したいと思います。

*2:機会があって何本が記事は執筆させて頂きました。ただし,私は自分の業績について「論文」と言うときには査読付きの学術雑誌論文のみを指すことにしているので,これらはあくまでも「記事」という用語で区別したいと思います。